2010年09月23日

●「選り好み」をしなければ、人生は難しくない。

●「選り好み」をしなければ、人生は難しくない。


「至道は難しきこと無し、ただけんじゃくを嫌う」

「至道(しどう)」とは究極の大道、悟りの内容そのもののこと。
つまり、一般に手の届かない遠いもの」と思われる「悟り」を得ることは難しくない、という意味。

でも、なぜ至道が無難なのでしょうか。
禅では、この世のありのままが既に至道と説き、それに気づくことが、「悟り」であり、全ての道の根源であると教えています。

しかし、私たちはなかなかそのことに気づきません。
その理由は「けんじゃく」しているからです。

「けんじゃく」とは、ものごとをいつも分別によって区別して対立させること。
分かるために分けるのですが、分けると全体を見失うのです。

私たちは、この「けんじゃく」によってすぐに自分と他を比較し、相対的な価値判断をしてしまう。
それが不満や慢心を心に抱かせて様々な執着を生み、その「執着心」が、至道を見えなくしてしまうというわけです。

順調な時も迷える時も、「けんじゃく」を捨て、その境遇を「自分の歩むべき道」とありのまま受け入れる。
道はそこに開けるのです。



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posted by ホーライ at 18:37| Comment(1) | 禅語! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

人生に禅語を活かす(1)

釈迦が2500年も前に説いた仏教の教えは、もともと死後の世界の話ではなく、「人間は、どうすればこの苦しみの中中で、より良い生き方ができるか」という人間的な問いに答えたものです。

そういう仏教の一派として中国に始まった「禅宗」の祖師たちが残した「語録」の中から、現代人にとって生き方のヒントになるものを選んだ。

私たちが何か困難に遭遇した時、それを乗り越えるために必要なものは、知恵です。
自分自身で磨き上げていく知恵が最も不可欠な力となります。



●「一」(いち)

一とは何か。改めてこう訊かれると、答えられる人は意外と少ない。
実は、私たちが何かに迷う原因は、そんな「一」へのこだわりがある。

たとえば「僕はこれが好き」とひとつにこだわると、「あれは嫌い」という反対のものが生まれます。
つまり、何かひとつにこだわりを持つと、それを起点に分別や差別などの意識が生まれます。
やがて、それが迷いや苦悩を引き起こすというわけです。

禅語の「一」は、そんな身勝手な一ではなく、「万物の根源」」を表し、修行僧は唯一無二の「本来の自己」を求めて修行します。
全ては一から始まり、一に終わる。

私たちは分別・差別して考えますが、それらを超えた「最も大切なものごとを見極めろ」ということです。

仕事で一番を目指す場合でも、大切なのは「今、自分がやるべきこと」を見極めること。
良い結果が得られないのは、あれこれと分別や差別をやめないまま、物事を行うから。
全てを心の中にある「こだわり」だけでこなしているからです。

「一」にこだわらなければ、全てが好転します。



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posted by ホーライ at 07:29| Comment(0) | 禅語! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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