「至道は難しきこと無し、ただけんじゃくを嫌う」
「至道(しどう)」とは究極の大道、悟りの内容そのもののこと。
つまり、一般に手の届かない遠いもの」と思われる「悟り」を得ることは難しくない、という意味。
でも、なぜ至道が無難なのでしょうか。
禅では、この世のありのままが既に至道と説き、それに気づくことが、「悟り」であり、全ての道の根源であると教えています。
しかし、私たちはなかなかそのことに気づきません。
その理由は「けんじゃく」しているからです。
「けんじゃく」とは、ものごとをいつも分別によって区別して対立させること。
分かるために分けるのですが、分けると全体を見失うのです。
私たちは、この「けんじゃく」によってすぐに自分と他を比較し、相対的な価値判断をしてしまう。
それが不満や慢心を心に抱かせて様々な執着を生み、その「執着心」が、至道を見えなくしてしまうというわけです。
順調な時も迷える時も、「けんじゃく」を捨て、その境遇を「自分の歩むべき道」とありのまま受け入れる。
道はそこに開けるのです。
■ホーライ製薬(架空の会社)
http://horaiseiyaku.seesaa.net/
■医薬品ができるまで
http://chiken-imod.seesaa.net/
■ハードボイルド・ワンダーランド日記
http://hard-wonder.seesaa.ne
■ホーライのブログ集
http://knowledge-forest.seesaa.net/
【関連する記事】